2018年8月22日水曜日

第207回研究会のご案内

第207回東海病院管理学研究会(市民公開講座)ご案内
事前参加申し込みはこちら(9月13日まで)

食べること・話すこと・生きること
―「他」・多職種連携 口腔リハビリテーションー

多死社会に入り、食べること・話すこと・生きることが大変な時代です。食べることは美味しく、話すことは孤立ではなく楽しく、生きることはこれらの土台です。関係する職種の方々から、日々の生活に関する有用な事例などを発表いただきます。これらの事例に対して正解を求めるものではなく、市民の方々の多くの生の声をお聞きしたいのです。よって各演者の講演は短くし、市民の方々との肉声の交流が主たる目的です。なお、他・多職種連携の「他」は患者さんの元/現職を意味します。

Ⅰ. 開会の挨拶
         山内 一信(東海病院管理学研究会 会長)
Ⅱ. 講演
1. 在宅医療の立場からみた歯科医師の対応
  栗崎 新也(くりさき歯科・こども歯科  院長)

2. 言語聴覚療法士の立場からみた嚥下障害と話し方
  中橋 聖一(愛知県言語聴覚療法士会 会長)

3. 歯科衛生士の立場からみた美味しい食べ方
  池山 豊子(愛知県歯科衛生士会 監事)

Ⅲ. 市民との質疑応答

Ⅳ. 総括コメント
         水木麻衣子(東京大学 医療安全管理学講座 特任助教)

司 会: 宮治 眞(名古屋市立大学 客員教授)、齋藤悦子(穂の香看護学校 顧問)
日 時: 平成30年9月15日(土)午後2時〜4時(受付1時30分〜)
場 所: 愛知県歯科医師会館 4F研修室(名古屋市中区丸の内3-5-18)
    ◎地下鉄「久屋大通」駅2A出口より北へ徒歩約5分
参加費:  無料

事前参加申し込みはこちら(9月13日まで)

2018年8月17日金曜日

【後援】死に方の質 市民公開講座

東海病院管理学研究会が下記市民公開講座を後援しますので、ご案内いたします。

死に方の質(Quality Of Dying and Death)In Numazu 市民公開講座

―『田舎の和尚』と『元迷医』の迷対談―


場所: 沼津市文化センター 大会議室 
日時: 2018年8月19日(日)13:30~15:30
主催: たびじ会(沼津市立第一中学校三年C組 昭和32年卒業の同級会)
後援: 東海病院管理学研究会

【市民公開講座 趣旨】
多死社会に入り、死に方の質は他人事ではない時代です。本講座は「田舎の和尚」を自任する「釣月寺・閉栖」と罰が当たり死の淵を覗き込んだ「元迷医」による迷対談です。死生観などの難しい話は研究者に任せ、日頃ふと感じたことを沼津市民の方々とともに悩み、苦しみ、もがいている様に関わる忌憚のない話し合いの場を持とうとういう企画です。死に方の質は千差万別で、正解はありません。もっとも大切な点は、日々の暮らしのなかで、死に方の質を頭の片隅において生きていくこではないでしょうか。対談時間は短く、市民の方々とざっくばらんな意見交流をしたい思いです。それが二人の娑婆への恩返しと考えた企画です。奮ってご参加いただき、交流を深めたいと思います。本講座は全てボランティア開催ですので、参加費は原則無料ですが、各自のご判断で支援箱へご援助を頂ければ幸甚です。

司会: 
 加藤 憲 
 (藤田保健衛生大学 研究支援推進センター 講師)
 水木麻衣子
 (東京大学大学院医学系研究科 医療安全管理学講座 特任助教)

13:30~13:35  開会の挨拶
 小川数明(たびじ会 会長)
13:35~13:50  田舎の和尚が考える死に方
 秋山俊學(釣月寺・閑栖)
13:50~14:05  元迷医が死の淵を覗き込んだ死に方の質
 宮治 眞(名古屋市立大学 客員教授)
14:05~14:55  市民との質疑応答(50分);トイレは適宜可
14:55~15:10  総括コメント
 斎藤悦子(穂の香学園)

【秋山俊學 講演要旨】
 沼津市南部の寺で住職を半世紀近く勤め、現在は閑栖(隠居)として静かに暮らしております。50年間、多くの人の葬儀で見送ってきました。
 ほとんどが檀家で、生前の暮らしぶりをよく知っていた人もあり、話す機会が一度もない人いました。
 僧侶として、多くの人の生と死を見てくると生き方から死に方が見えてきてきます。良い生き方が良い死に方につながるという単純な法則はないようです。
 葬儀と法事に努めてきた平凡な田舎の隠居和尚に縁あって、宮治先生より「死に方の質」をテーマに対談に出ろと、寝耳に水のような話があり、名医と迷僧の対談を行うことになりました。
日ごろ感じていることをお話させていただこうと思います。

【宮治 眞 講演要旨】
(1)熱海における同級会たびじ会で、倒れた前後の経緯
:飲酒の後で、気分の悪さは飲酒のためと思っていた
:心筋梗塞は通常、死の痛みを伴うとされるが、高齢や糖尿病では無痛性がある
:名古屋駅へ到着時、階段が下りで助かった、昇りであったら、心臓破裂で死
(2)心臓の広範囲前壁梗塞で死の淵に立っていた約2ヶ月の心境
:いろいろ関係者は励ますが、看護師の対応だけで、これは死ぬと思った
:病院食の不味さを怒鳴ってしまったところ、主治医は何でもOKの返事。これは最後の晩餐を叶えるためか、食べることが不可能を見抜いた作戦か
:結局、食べられず、元迷医に何でOKと言い放った彼を主治医とする
:本当に信頼できる医師とは、誤診で死んでも仕方がない信頼・彼は僕の教え子
:日々食札の裏に趣味の五行歌を4首×3回=12首をノルマと課した
(3)退院後、死に方の質をどう考えたか
:宮治は罰が当たって死んだ噂を知る、なるほどと思う
:家族、故郷を思うと涙が流れ、母より先に死ぬのはヤバイなと思った
:他方で、講演などを後輩が全てをキャンセルしたが、一つだけ隠す。退院10後の講演は、主治医、家族の了解が得られそうにもなく、内緒ででかけた
弁護士会の安楽死に関する講演で、4階までエレベータを確認。ただ迷惑をかけるとまずいので、遠くの後輩に内緒で付き添を依頼。壇上に上がる前、心臓がドキドキし中止を考えたが、トイレで深呼吸と水を飲み、付き添い医師にも言わず、壇上に上がった。最大の理由は、弁護士にも医師にも認知症の人がおり、年齢制限を設定せよ一言を、遺言としたかったから。
(4)あれから丸っと7年、3年半を二回経過し、次の三下り半を待つ身
先立つ不孝さえ乗り切れば、人間は畢竟「野垂れ死に」と考え、本日の講演を故郷で企画した。死は孤立させてはいけないが、畢竟 孤独なものである。
(5)「死に方の質」から「生き方の質」への変換。
:メキシコ戦争で生死不詳のビアスは「悪魔の辞典」において、「医師とは病気になったときはしきりに望みをかけるが、健康なときは犬をけしかけたくなる奴」と記す。最初の前提とするか?
:体を動かすことと頭を働かすことを日課として、生から死への転換を図る
体を動かすは限界があり、頭を働かすこと、例えば新聞の見出し広告を読むこと、とくに織り込みチラシ、宣伝パンフレットは隅から隅まで詠む。それでも死への恐怖は常に揺れ動き、時にふてくされて、妄想が娑婆をかけ巡る。